【だんらんストーリー】奥さんの味噌汁
楽しみレベルの食事って?
ある80歳代の高齢夫婦のお話です。夫婦二人で暮らしていましたが、ご主人が誤嚥性肺炎を繰り返し、胃瘻の決断となりました。急性期、回復期を経て、自宅退院となり、「楽しみレベルの摂食を続ける目的」にて私が訪問することになりました。
退院時要介護3でしたが、認知症などもなく基本的な動作は自立している方でした。
病院では胃瘻から3食注入し、口からは好きなコーヒー(トロミ付き)とゼリーを用いて訓練をしていたとのことでしたがふと「ゼリー…好きですか?」と伺いました。
食べたいものってなんだろう?
なぜそんなことを聞いたのかというと、病院での訓練目標で挙げられる「楽しみレベルでの摂食」の『楽しみ』の位置付けが、非常に難しいものだからです。好きなものだけ食べられればいい、という方もいらっしゃるとは思いますが、これから先の人生、ゼリーだけ食べられれば楽しみレベルが達成できるか、というと、たぶんそうではないですね。
やはり家族と囲む食卓、これが楽しみなのではないでしょうか?
このお家で作れる料理は?
ご夫婦共に高齢でしたので、食事に嚥下食を用意していただくことは、不可能な状態でした。高齢になると主婦でさえ料理が適当になってくるので、毎日ちょっとしたご飯とみそ汁とお惣菜で済ませる、そんな家も少なくありません。更に、このご主人は典型的な九州男児。奥様との会話が多いわけでもなく、気難しい性格の方でした。奥様が料理をしたところで感謝の言葉もないため、奥様も料理への意欲はありませんでした。
しかし、やはりSTとしてはできる限り、普通のものを食べて欲しい。そう思ったのです。
奥さんの味噌汁
台所を見渡すと、お鍋が1つありました。奥様に中身を尋ねると「味噌汁の残りです。一応味噌汁だけは毎朝3食分作っているんです。」とのこと。
これを使おう。奥様に承諾を得て、中身を確認しました。ほんのわずかな味噌汁の残り物に、麹カスや細かい野菜が入ったものでした。
茶漉しを借りて、それを綺麗にこしました。温めなおしたその味噌汁に、購入していただいているトロミ剤をつけて盛り付け。
ご主人の前に出しました。
胃瘻を作ってから、半年ほど。食事らしい食事は摂れず、コーヒーとゼリーだけでした。まさに半年ぶりの食事です。
自力摂取できる方でしたので、充分に注意していただきながら味噌汁を一口…。
「…うまい!うまいよ!」
お元気な頃から、料理に「うまい」なんて一度も言ったことのない方でしたから、奥様はその瞬間、涙が…。
典型的な九州男児のご主人に、ずっと斜め後ろからついてこられた奥様ですから、初めての「うまい」という言葉に感激したのは言うまでもありありません。
以後、奥様の作る味噌汁は、ご自分の3食分よりちょっぴり多くなりました。
その「残り物の味噌汁」を裏ごしして、とろみをつけて、お盆に乗せて。
毎日またご主人への料理がはじまった奥さん。「わがままだからねぇ」なんて言いながらも目じりには笑顔のしわが見えます
「うまいよ」という言葉はそれ以後、一度もおっしゃることはありませんでしたが、それはそれで、ひとつのご夫婦の形なのだなと感じた、そんな出来事でした。
【長岡菜都子(だんらんコーディネーター)】
リハビリテーション専門職である言語聴覚士の国家資格を所有。病院勤務を経て、訪問看護ステーションに入職。以後12年間で、訪問リハビリテーションを学ぶ。対象は乳幼児から高齢者まで幅広く、病気や障害を抱えながらも、にいかにして家族とともに充実した温かい生活を送れるかにこだわり、支援している。
現在は病気や障害を抱える当事者に対し、『個別』ではなく、家庭や関係施設へ『戸別』に訪問し、主に「はなすこと」「たべること」に関する、赤ちゃんの育み支援、こどもの学び支援、成人・高齢者の生活支援を行っている。
その他、医療・福祉・介護・教育施設等への外部講師等も行い、「はなすこと」「たべること」のバリアフリーを目指し活動中。
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